
特設ページ2019

Q:
本屋大賞のノンフィクション本大賞を 去年の11月に取られてから、インタビューが増えていらっしゃると思いますし
京都や神奈川の高校の司書さんからも1位に選ばれたりとかして、すごいお忙しいと思うんですけれども、その後で ご自分の様子が変わったとかそういうことってありますか?
ブレイディさん:
私は普段はイギリスに住んでいるので特に分からないというか。もちろん向こうの書店に私の本があることもないですし、そんなに騒ぎになっている 実感はないんですけれども、たまにこうやって日本に帰ってきて取材とかインタビューを 受けたりとか書店さんに行ったりとかする時にえらいことになってるなぁ、と。
Q:
そうですよね。どこに行ってもあのポスターがあって平積みでっていう感じだと思うんですけど SNSはあまりご覧になったりはしないんですか?
ブレイディさん:
私は SNSは 基本的に嫌いなので、自分もtwitterや facebook はやっていないですし、たまにtwitterは 見に行くこともありますけど、自分自身やってないのでそんなに分からないですね。
Q:
私たちは、実は高校の図書館司書で、今回のインタビューも高校の図書館に関わるようなことをすこしお話聞かせていただこうと思ってお時間とらせていただくんですけど、色んなインタビューを見せて頂いたところご出身が福岡で、実は私、年齢が結構近いですね。
ブレイディさん:
はい。そうなんです。
Q:
それで思い返してみると私も高校時代に司書がいる学校図書館を使ってたんですけれども、ご自分の高校時代に学校図書館をお使いになった経験とか司書さんとの思い出とかありますか?
ブレイディさん:
私は高校時代に進学校に入ったんですね。県立の修猷館高校なんですけど、まぁ、ちょっと落ちこぼれてですね。結構悪い子だったんですよね。結構、授業中とかでも合わない先生の授業だったら出たりとか。途中で出ていっちゃうというか。結構、悪い子だったんで、なんというか先生たちの手を焼かせたんですけど、非常に目をかけてくださった国語の先生がいて、その方が高校2年3年を担任してくださったんです。
私は本を読んだりものを書いたりするのが、その頃からとても好きだったので、嫌な授業や出たくない授業があったら図書館に行って本を読んでこいって言ってくれて、それだから半分図書館で暮らしたようなもんですよね、あの頃は。
すごく長い伝統を持つ高校だし結構建て替わってますけどその頃は、ものすごく立派な図書館があったんですよ。学校の校舎の外にあって、司書さんもいらっしゃって、いつも私が来るから顔馴染みみたいになっていて、そこにその学校の卒業生のOBが結構、その関係者がもともと藩校だった学校だから非常に古い学校なんですけど、玄洋社というのが福岡にありまして、そこの関係者が多かったから、その玄洋社関係者の本が入ってる棚があったんですね。
そこにあの夢野久作のお父さんとかがやっぱり玄洋社の関係の方で、夢野久作も『近世快人伝』っていう玄洋社の人々のことを書いた本を出していて、まぁ最初にそれを読んで、「なんて破天荒で面白い人たちがその時代にいたんだろう」と思って、それで夢野久作も知って。ドグラマグラとかも。


